若者たちが何かに関心をもったり、
自分でなにかを考えたりするきっかけとしての、たたき台。
こんな人、事、考え方があるんだ、っていう
新しい価値観としての、たたき台。
平成元年生まれ、まだまだ若者の山崎達哉のブログ。

山崎達哉
日替わり店長の店「魔法にかかったロバ」代表。
立命館大卒業後、㈱電通を経て現業。

2015年12月

昨日、大学の同級生が、久しぶりに店に来てくれました。

「最近どうよ?」って聞いたらすぐに
「しんどいわ・・・」って。
ヨレヨレの声で、不健康な太り方して、笑えへんっちゅうねん。

1年ぶりくらいの再会かなあ。
大手の子会社、に勤めてて、同期なので5年目。
台湾に行ったり、今は東京だったり。
いろいろ飛び回ってるけど、それが全然楽しくなさそうで、超しんどそうだった。 
でも店が忙しくて全然話せなかった。何か話したかったのかも、ごめん。 
しかもお会計間違えた気がする・・・。




しんどいのをいつまで我慢するの?
なんで我慢するの?
その我慢に終わりはあるの?

山崎は、新卒で入った会社を、たった半年で辞めてしまいました。
もちろん会社や上司、先輩にはたくさん迷惑をかけました。
でも無理でしたほんとにしんどかった。

大学でてええとこ就職して
会社員として35年がんばって
その間に結婚して子どもを育てて
家と墓を立てて退職金もらうまで頑張る。

昭和の時代が築いた、生き方のテンプレ。
それが幸せな人生としてハマる人ばかりの時代じゃなくなってるって
早く気づいたほうがいいと思うんです。
少なくとも山崎にはハマらなかった。
「この生き方、山崎にはぜったいに違う」
ってすぐ気づいた。

だから山崎は京都に帰ってきた。
でも、そこには仲間が待ってくれていて、
たくさんの人が手を差し伸べてくれた。
お金も、仕事も、家も、気づけば誰かに世話になって
ちゃっかり新しい生活をスタートできた。
疲れた山崎をみんながねぎらってくれた。
今でこそ起業家ヅラしてるけど、ぜんぶその時周りの人たちが支えてくれたおかげ。
とにかく疲れきって帰ってきたときに、
求められるがままに、できることをみつけ、とにかく自分の人生を切り開こうとした。
そしたら結果的に、4年間自営業で生計を立てられるようになってた。





ほんまに求められてるの?

自分がいなけりゃその環境は持続しないの?
我慢してまでそこにしがみつかないと、誰かが困るの?


ほんまにその生き方しかないの?
今の生き方を中断したら死んでしまうわけじゃない。
いくらでも他の選択肢がある。

自分の生き方の選択なんて、誰も気にしてない。

だってみんな自分の人生に精一杯だから。
しんどかったら、一旦中断すればいい。
休んでもいい。誰の目を気にする必要もない。
次の進路を模索したらいい。



自分が決め付けている生き方なんて、数ある可能性のほんの一部。
目標やゴールが見えるなら別だけど、先の見えない苦しみを我慢することに意味はない。
さっさと環境を変えないと本当に取り返しがつかなくなる。

昨日の彼みたいな人が他にもきっとたくさんいるんだろうなと思って、
とりあえず書いときます。
山崎を頼ってくれるなら、できることするよ。



今朝の記事の続き。
高校の同級生が記事シェアしてくれたんで気合い入ってます。みんな褒めて!その分書くから!笑
今夜は最近引っ張りだこの「ブルース落語」について。アイデアの組み合わせって、ぶっ飛んでたら目をひくよね、って話です。

これはぜひ、今朝の記事読んでから読んでほしい!もう、これバッチシな組み合わせだったのです。アイデアとして。
「ブルース落語」
○目的:ネオ古典芸能の提案
○誰のため?:これまでの落語、ブルースに飽きてきた皆様へ
○組み合わせ:「落語」に「ブルース」





すぅみーとよーしかーご?
ある日、まほロバの事務局の学生なおやん(178cm♀落語家)が言いました。

な「落語をテーマに、大学の授業で新しいコンテンツを発表したいんやけど、山崎なんか思いつかへんか?」
山「おれギター弾けるで、ブルース得意やで」
な「それ、落語に組み合わせられへん?」
山「落語にブルース合わせて、ブルース落語てどや?」
な「ええけどどないすんねん」
山「得意な演目教えて」
な「住吉駕籠」
山「ん?」
な「すーみよーしかーご!」
山「Sweet Home Chicago ?」
な「なんですのんそれ?」
山「ブルースの定番曲やで。住吉籠とSweet Home Chicago組み合わせて、なおやんが話してる合間やキメに、ギター入れたらどやねん」
な「おもろそう!ほなやろかー!」




世界で唯一の「ブルース落語」ユニット
落語は江戸時代から日本で、ブルースは1950年代(ないしもっと前から)アメリカで生まれた、それぞれ古典的な芸です。意外と、20代の我々が即興でサクッと合わせられたこのアイデアを、65年間誰も思いつかなかった。我々が世界で唯一の、ブルース落語というジャンルをやってるわけです。

これが中々ウケるんですよ。
「住吉籠」には「Sweet Home Chicago 」
「悋気の独楽」には「Hoo Chee Koo Chee Man」
「七度狐」には「Misin' WithThe Kid」
と、これまで色々やってきました。
両方わかる人には、アレンジの様子も想像できることでしょう。

最近では、ブルースバンドとの対バンや、音楽祭への参加など、多方面からお呼ばれしております。特に、ブルースをとことんやってる人や、落語をとことんやってる人ほど、評価していただいてる気がします。それぞれ、どんどん過去のものになっていきますから、それらを組み合わせることで新しいものに生まれ変わるというこのジャンルが、共感を得てるんだと思います。



ライブハウス58で、Harpin Joeさんとの対バン。なおやん紅一点。






とりあえず自分ができることを何かに組み合わせてみたら、どんどんアイデアになるんじゃないですかね。
今日、最近まほロバでめっちゃ活躍してる新人、ラーメン女子重田と話てたんです。「ラーメンに色々組み合わせまくったら、割と無限にいろんな人と色々やれるよな」って。
肉や魚や野菜などはもちろん、お酒や何かの食材を扱う人となら、ラーメンをうまいこと組み合わせれば企画をつくれるわけです。そしてそれが、手品や占いや、林業だっていい。自分がもってる得意技に、無理矢理でも何かのアイデアを組み合わせれば、新しいなにかを生み出せる可能性は無限に広がる。

また、組み合わせる対象が、組み合わせたいものと全く違うジャンルだと余計に衝撃を生みますよね。ブルースに落語は、65年間誰も思いつかなかったんですもの。



ひらめいていきしょうよ。
ブルースに落語だったり、タッチパネルに電話だったり、飲食店が日替わり店長だったり。その破天荒な発想が、世の中をあっと言わせることになるかもよ。




どやろ?
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当ブログのコンセプトは「たたき台」。
こんな考え方、どう思う?
っていう、たたき台。
若者たちが何かに関心をもったり、
自分でなにかを考えたりするきっかけとしての、たたき台。
平成元年生まれ、まだまだ若者の山崎達哉のブログ。




2週間、ブログさぼってました。
ごめんなさい。
お芝居やってました。
お芝居を通して、プレイヤーとマネージャーには、明確に向き不向きがあるなぁ、と勉強してきました。





初役者、やってよかった!
劇団オレと松本 京都公演vol.6「1/3」に、役者として初めて出演してきました。過去と現在と未来のソノザキユウコが、運命と向き合うこと、受け入れることを表現したお芝居。山崎は、ユウコさんと未来で結婚する役。舞台となる喫茶店のアルバイト君でした。会場はまほロバ。先輩役者さんから、ほんといろいろ教わりました。

役者さんの発想ってすごい。
舞台に立つ以上は、目線や手足の動き一つ一つに必ず意味を持たせようとするんです。動きのキレの有無、間の長さ、目線をどう動かすか。すべての動作に意図をもたせようとするんです。対人コミュニケーションには全て通ずるよなぁ、と、まじで勉強になりした。





さて本題

役者(プレイヤー)と、演出家(マネージャー)。
どんな組織でもそうです。
組織は基本、それぞれの得意を活かして実動する大半のプレイヤーと、方向を決定し進行を管理する一部のマネージャー(とかプロデューサー)で成り立っています。山崎は魔法にかかったロバのマネージャーです。お芝居ではプレイヤーでした。

今回、お芝居には演出兼役者として、劇団オレと松本のオレさんが。役者が他に5人いました。で、それはそれは色々あったのですが、終わった後オレさんと飲んでたら「いやぁ〜私まじで演出向いてないんすよぉ〜」って、苦労を吐き出してました。オレさんは本当に、プレイヤータイプの人なんだなぁと思って見てたので、まじで大変だったと思います。お疲れ様でした。





「デキる人はマネージャー」の当たり前を疑うべし!
社会はなんとなーく、経験豊富だったり、優秀な人だったりがマネージャーになるべき、みたいな風潮があります。会社や役所も、年を経たら管理職になるのが当たり前みたいになってる。昇進イコール管理職が基本です。むしろ管理職になれなかったらダメ人間みたいに。でも、そんなことはちゃんちゃらおかしいんじゃないかなと、今回思ったんですねー。

土俵にもよりますが、プレイヤーとマネージャーは、必ずしも「当然こうだろう」という決められ方をするべきじゃないと思うんです。この役割分担が、ある意味無理矢理に、ある意味なあなあに決まっていくと、生産性が下がってしまう。そして山崎の経験上、どちらかの立場を選んだり任されたりした後に、違う方の立場になろうとすると、上手くいかないことが多いなぁ、って感じです。

疑うべきだと思うんです。組織の中で、経験値がある、発起人、最年長、などなど、その人がマネージャーをやって当然じゃないか!っていう空気。オレさんは自分がマネージャーに向いていないと思いながらも最後まで頑張ってマネジメントされました。でも、もし発起人であるオレさんが役者に徹して、誰か別の演出がいたら、彼はもっとのびのびやれたんじゃないかなーとも思うんです。まほロバを創業したのは山崎だけど、もっと何か専門的な役割を担って、違う誰かにマネジメントを頼んだら、もっと良くなったりして?とか。





「何がデキる」の?
料理人とかミュージシャンとか、スポーツとかもそうです。料理はめちゃくちゃ上手でも、店を経営するのは苦手な人だっている。音楽を極めようとしても、それを発信していくマネジメントはできない人も。スポーツだって、上手な人が指導者に向いてるとは限らない。

この土俵でなら、自分が活躍できるのはプレイヤーだ。こっちの土俵ならマネージャーとしてこうすれば上手くできそうだ。とか、人によってシチュエーションによって、それぞれ役割が異なってくるのが、当たり前なんじゃないかなって。

自分にその人に、本当に「何がデキる」のかを丁寧に考えれば、プレイヤーとマネージャーの役割分担は正しく判断できるんじゃないでしょうか。




組織の中での役割分担をする時に、自分や周りが、本当にマネージャー、プレイヤーの立場が向いているのか?ということ、ちゃんと考えるのって本当に大切。そしてそれを、年齢や経験、言い出しっぺかどうか、だけでなく、その人の能力や向き不向きを合理的に考えることができれば、とても居心地の良いチームにできるんじゃないかなって思うんですよね。




どやろ?
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当ブログのコンセプトは「たたき台」。
こんな考え方、どう思う?
っていう、たたき台。
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