今回で女川に来るのは3回目。
自発的に来たのは2回。
いつも周りから言われるのは、
「ボランティアですか?」

先に書いておきますが、
山崎は女川にボランティア活動をしようと思って来たことは、一度もありません。女川が面白いと思うから、参加しています。なんなら、ちょっとでも生産的に稼げないかなと毎日考えてますし、実際女川に参加した26日間で20万円くらい稼いでます。


前回半年前の記事、灼熱の女川お試し移住編はこちら。
《今回はビールのガル屋で、寿司握りました。》

ボランティア活動は素晴らしいこと。
ボランティア活動そのものを否定したいつもりは一切なくて、「ボランティア」そのものを目的にしちゃうのがもったいないんじゃないか、 ということが書きたいので、ボランティア活動やその情報発信などでご活躍されている方々の気を、少しでも悪くしたくないので言葉を尽くして書きます。

○○のために役に立ちたい、という目的意識を持ってボランティア活動に参加することは、それによって支えられる活動への社会的意義も大きいと思いますし、それらの活動に参加することで参加者も有意義な経験をできると思います。特に大学生や若い人たちにとっては、自分の時間を協力したいと思えるなにかに捧げることで、その時間の中で自分は何を得ようかと考える機会にもなるし、社会とのつながりを多角的に持つことができるという意味でとてもいいことだと思います。

例えば山崎が今いる女川で、震災当初、女川のために何かをしたい、と集まった人たちがたくさんいらっしゃいました。東北のため、女川のため、震災復興のために、報酬はいらないからとにかく何かの助けになりたい、と集まった人たちのおかげで、今の復興はあると思いますし、その気持ちがたくさんの人を支えて来たのだと思います。

ただし、その人たちの目的は多くの場合「ボランティア活動したい」ではなくて「震災復興のために何かしたい」だったと思うのです。それこそがボランティア活動として、健全な状態だと思うし、社会の中でも、無くてはならない立ち位置にある存在だと思います。





手段が目的になると、方向性を見失う。
しかし、「ボランティア活動をすること」が目的になってしまうと、方向性を見失う気がします。そんな人を何人か見てきました。

たまに、学生時代なにやってたんですか?って問いに「ボランティア活動です!」って応える人がいます。それ自体は別にいいんですが、無償でなにかに従事することそのものが目的になっちゃったら、生産性が下がってしまう気がするんですよね。

例えば女川に、
「なんでもボランティアしますよ!」
って来ちゃったら、これもうやることないわけです。多分観光して3日目から暇です。

逆に
「私は歌が得意なので、街が少しでも明るくなるように、駅前で歌います!」
ってこれもう女川町民は大歓迎なわけです。

なんでも無償でやります、の受け身の姿勢は時として必要かもしれません。でも、自分ができることで、その場や周りの人たちのために、どう役に立てるか、という生産する姿勢が先にあったほうが、よっぽど何かの役に立つことができるのではないかと思うのです。





人の役に立つことは、仕事の原点。
山崎は商売を生業にしているから、特別この意識が強いのかもしれませんが、基本的に誰かためになることをやってれば、それは必ずお金になると思っています。そしてお金になることをやればやるほど、経済は回り、よりその環境が良くなるはずです。そうやって世界や日本は豊かになりました。

例えば、山崎は女川が少しでも豊かになるために何ができるか考えて、昼ごはんの店をやりました。
(詳しくはこちら

この発想になったのは、女川に着いたその日。女川に訪れた人、女川に暮らす人にとって、圧倒的に「普通の昼ごはん」が足りなかったから。それを山崎は技術的に補うことができるし、旅人の山崎が場所的ハードルを越えるために、日替わり店長の店のノウハウを使えたから。

結果として、いつもとちがうお昼ご飯を楽しんでもらえて、お昼の女川が少しでも盛り上がって、そして店の使い方の多様性を提案することができた。
こうして、誰かのためにできることを考えれば、ランチの売上として、そのアイデアはイノベーションの価値として、お金になる。そしてそのお金を、女川のお店で次は山崎が使いまくる。これが生産活動であって、経済を回すことだと山崎は思うのです。



山崎がもし、「ボランティア活動をしよう」と思って女川に来ていたら、こういう発想にはならなかったと思います。むしろ結果として商売になるなら、その方がいい。
誰のために、自分は何ができるか?
どんな取り組みも、すべてはここが出発点だと思うんですよね。



どやろ〜?
------------- 
当ブログのコンセプトは「たたき台」。
こんな考え方、どう思う?
っていう、たたき台。
若者たちが何かに関心をもったり、
自分でなにかを考えたりするきっかけとしての、たたき台。
平成元年生まれ、まだまだ若者の山崎達哉のブログ。